Lee Loo でご紹介している彫刻家・田中 茂には、代表作と呼べるシリーズがあります。その名も「化けそこなった狸」。
名前を聞くだけで、少し笑ってしまうような作品です。今回は、この不思議なシリーズがどう生まれたのか、田中先生自身の言葉とともにお話しします。

彫刻を、つくり続けて
2013 年 12 月、田中先生は「田中 茂展 化けそこなった狸」という作品集を作りました。その図録の中で、田中先生は「彫刻をはじめて、今年で 30 年目を迎えました」と綴っています。年に 1 つでも作品を作り、何とかここまでやってきた──そんな言葉から、この文章は始まります。
彫刻を始めた頃に手がけていたのは、狸ではありませんでした。人体の美しさや、形の不思議さ。生き生きとした人の動きや生命力。特に、我が子の誕生や成長の過程、子どもが活動する動きのおもしろさを、作品にしていました。
その田中先生が、近年シリーズ化しているのが「化けそこなった狸」、そして「化けそこ猫」です。卓上に飾れる小さな作品から、大きな大作まで。ケヤキ、鉄、楠、チーク、杉、テラコッタ。さまざまな素材を組み合わせて、遊び心とストーリーのある作品を作り続けています。
「化けそこなった狸」は、こうして生まれた
なぜ、狸だったのか。田中先生はこの図録の「彫刻をつくり続けて」という文章の中で、その考えを綴っています。
人の幸せとは、なんだろう?と、自分に問いかければ、日々生き生きと生活できること。夢を持ち、前向きに活動できること。人を心地よくしてあげること。(中略)こんな勝手な思い込みを自由気ままに彫刻で表現できたら、おもしろい。「化けそこなった狸」は、そんな考えで生まれました。

「自由気ままに、おもしろく」。その思いが、狸というモチーフに結びついたのです。
狸が、神になる
では、なぜ狸だったのか。そのきっかけも、田中先生は書いています。
昔、狸は人を化かすとおばあちゃんに聞きました。何にでも化ける狸が、村の鎮守の森から、ばさばさと歩いて出てきた。(中略)この狸は、どんどん活動を始めます。いろいろなものに化けて様々な事をしたくなるはずです。
いろいろなものに化けられる狸なら、きっとやりたいことが増えていく。その想像は、思いがけない場所へと辿り着きます。
やりたい放題の狸は、ついに、神様に手を出しました。訳のわからない次元への挑戦です。地球を創り、土や水を生み出し、空気の流れを風として創り出すエネルギーはどこからくるのでしょうか。
狸でありながら、神の領域にまで手を伸ばす。わたしは、この想像力の高さにこそ注目してほしいと思っています。なぜなら、ただ動物をかたどるのではなく、その狸が「次に何をしたくなるか」まで彫刻にしているからです。
受け取り方も、自由でいい
わたしがこのシリーズに惹かれるのは、作家自身の自由な視点です。まさに、田中 茂にしか表現できない世界観です。
そして、作る人が自由なら、鑑賞するわたしたちの受け取り方も自由でいい。田中先生の狸は、そう思わせてくれます。「これはこう見るべき」という正解がない。だから、見る人それぞれが、自分なりの物語を感じられます。
作品集は、こんな言葉で締めくくられています。「人生を楽しく生きていく証として、これからも彫刻を続けて行きたい」。名前は「化けそこなった」。けれど、化けそこなったからこそ生まれた、田中先生だけの世界がそこにあります。
Lee Loo でご紹介している 田中 茂 は、二紀会の彫刻部委員として活動する彫刻家です。作品は Artists 一覧 からご覧いただけます。
── Lee Loo 恭子

